自分の価値観の「健常者を見返す」について疑いを感じるようになったのは、東日本大震災の被災地でヴァイオリン演奏をするようになった頃からでした。突然の災害で大切な家族を失った方々とお話をさせていただく中で、「命」や「人生」に対する自分の考えの未熟さを痛感したからです。
「いじめてきた人たち、健常者を見返すとか思っている場合じゃない。人間としてもう1回やり直すところからだ!」
そう思えるようになり、価値観が対立していた祖父の次の言葉が胸に刺さりました。
「どんな状態になっても、どんな性格になっても、水晶は水晶だからな」
存在を受け入れ、理解してくれる祖父への感謝の気持ちが湧き、また祖父のことが大好きになりました。そして、「人々の心に寄り添い、癒しの音楽を届けていきたい!」という【活動の軸】が定まったのです。
そして時は流れ・・・2018年。21歳でプロのヴァイオリニストとしてメジャーデビューできることになりました。
メジャーデビューアルバムの タイトルにもなった楽曲 『孤独の戦士』
この時、祖父は65歳。トラックの運転手の仕事を定年退職したのですが、「まだ働ける」と言っていました。そこで、ぼくは次のように想いを伝えたのです。
「じいちゃん!これまでお勤めありがとう!ぼくが休みの日はじいちゃんとゆっくり過ごしたいから、もう働かずにゆっくりしてよ!」
そうして大黒柱が入れ替わりました。仕事が休みの日は、祖父と一緒に山や海を1時間半くらい散歩したり、お風呂やジムに一緒に行って体を鍛えたり・・・ほっこりと時間を過ごせました。
この頃もまだまだ、いじめを受けて生まれた闘争心から、「もっと頑張らなきゃ!!」とつい自分を追い込みすぎてしまうところがありました。でも、祖父と過ごす時間があったからこそ、自分を受け入れ、自分にも周りの方々にも優しくできました。
それが生きるエネルギーの源となり、「人々の心に寄り添い、癒しの音楽を届ける!」という軸に立ち返ることができていたのです。式町水晶の音色の裏には、祖父の存在があったことを知っていただけると嬉しいです。
式町水晶
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