1996年10月28日に母がぼくを出産し、その後2ヶ月で離婚したことから、祖父母の家で一緒に暮らすことになりました。
祖父と僕の年齢差は45歳。自衛隊を退職した後、トラックの運転手として働いていた祖父の生活はというと、平日は朝早く家を出て、夜は遅く帰ってくる生活。休みは日曜日1日しかありません。
祖父からすると日曜日は貴重なお休みなのですが、プールに連れて行ってくれたり、お風呂屋さんで背中を流しあったりしてくれたのを覚えています。
ぼくは脳性まひがあって車椅子生活だったこともあり、とても手がかかるのですが、とにかく優しくケガをしないように守ってくれました。あと、将棋や麻雀、ゴルフを教えてくれたのも祖父です。不平・不満、愚痴を言っているのを見たことがありません。
8歳になったある日のことでした。
母と車で移動している時に、ふとした会話の流れから、
「水晶とおじいちゃんは血のつながりがないのよ」
と聞き、衝撃を受けました。
「え?そうなの!?本当に!?ウソでしょ?」
それまで血がつながっていると思っていたので、ブワッと涙が溢れました。
でも、よくよく考えてみると、
「血がつながっていないのに、こんなにとてつもない愛情を注いでくれているんだ!」
と感謝の気持ちも湧き、もっと祖父のことが好きになりました。祖父の愛情深く、人を想えるところを心から尊敬しています。
その後、ぼくは小学6年生の時にいじめ・不登校を経験したことから、闘争心が強くなり、ヴァイオリンを健常者を見返す手段として扱うようになります。
それなのに祖父は、
「それだけストイックに努力できるのは水晶の良いところだけど、健常者の人への恨みを持って演奏するのは良くないんじゃないか?」
としっかり忠告してくれていました。
その時のぼくはその言葉を受け入れられず、価値観の違いから対立したこともあります。でも、そんなぼくに向き合い続けてくれました。
「人の心に寄り添い、癒しの音楽を届けたい」
と思い続けてこられたのは、祖父の影響なのかもしれません。
「どんな人間でいたいですか?」
と聞かれたら、
「祖父のような愛あふれる人間です」
と答えます。
式町水晶
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