こんばんは、ポップヴァイオリニストの式町水晶です。
6月7日は、自興院にてコンサートをさせていただきました。お越しいただき、本当にありがとうございました。
今、プロヴァイオリニストとして活動をさせていただいておりますが、プロになるまでにヴァイオリニストになることを諦めそうになった時があります。
そんなぼくを支えてくれたのが、恩人であり、尊敬するヴァイオリンドクターの中澤宗幸先生と、津波ヴァイオリンでした。
中澤宗幸先生
津波ヴァイオリンと
2011年3月11日に、東日本大震災が発生した当時、ぼくは中学3年生でした。
「ボランティア演奏に行きたい」
と家族に想いを伝えたのを覚えています。
しかし、すぐには行くことができず月日は流れます。高校2年生になったある日、脳性まひの障がいで指がうまく動かせない状態になってしまい、「もうヴァイオリンを弾き続けることは無理かもしれない。お世話になった方々に報告に行こう」と決めました。
新宿にある中澤宗幸先生の工房を訪れた際、製作された「津波ヴァイオリン」の話をしてくださいました。
「これは東日本大震災の津波で流されてしまったタンスや生活の中で使われていた木などでできているんだ。あとヴァイオリンの魂柱(こんちゅう)には津波で流されたかった陸前高田市の軌跡の一本松が宿っている。普通、海水に浸かった木だとうまく音が出ないものなんだけど、人々の鎮魂の想い、今を頑張って生きる人々の想いがあるから鳴っているんだ。だから水晶くんもまだ大丈夫だ!」
このように支え、応援してくださったのです。
そして、この津波ヴァイオリンを託していただき、東北地方でのボランティアコンサートをおこなえることに。
とはいえ、当時の自分の体重は47kg。
「もっとこんなふうに演奏したいのに、指や身体がうまくついていかない」
どうしようもない苛立ちとコンプレックスと闘いながら、演奏していたのを覚えています。
にもかかわらず被災者の方々は、そんなぼくに、
「式町さん、障がいがあるのに遠いところまで演奏に来てくれてありがとうございます。私たちも頑張りますから、式町さんも活動を頑張ってください!また会いましょう!」
と言ってくださいました。
「自分たちも大変なのに、人のことを思いやれるなんて!」と心を打たれ、この経験から、「いじめてきた人たちを見返すためじゃなく、人々に癒しを与えられるヴァイオリニストでありたい」と思えるようになったのです。
音楽で支えに行こうと訪れた東北で、支えられることになったお話です。
今も学校や様々な場所で、津波ヴァイオリンで演奏をさせていただいているのですが、ぼくも支えてもらい、救われていたのです。
今後も、その癒しの音色と共に、「命と支えの大切さ」を今日を頑張って生きる子どもたち、保護者、シニアの方々にお伝えていきます。
京都にて、お世話になっている清水寺の御住職様でいらっしゃいます大西英玄師と木村桜士堂の木村社長さんと。津波ヴァイオリンを手に。
式町水晶
【あと18日で終了!】挑戦中のクラウドファンディングプロジェクト
最後まで諦めず発信してまいります。
引き続きよろしくお願い申し上げます!
大切な人を支えるために頑張って生きるあなたを癒し、鼓舞する1曲を創り、届けたい!
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