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【祖父と僕】④いじめの経験とは比べ物にならない、人生で一番の悲しさ

執筆者の写真: mizuki shikimachimizuki shikimachi

更新日:2024年9月20日

0歳からぼくを育て、支えてくれた祖父は、人前で目立とうともしないし見返りを求めない性格でした。


そんな祖父ですが、ぼくが2021年9月5日にパラリンピック閉会式で演奏をした後、一緒に出かけた時に、

「TVで演奏を見ましたよ!すごいですね!水晶さんのおじいさんなんですねー!」

といろんな方から声をかけられた時、とても嬉しそうだったのを覚えています。祖父に喜んでくれることが、ぼくもとても嬉しかったです。




パラリンピック閉会式で 演奏をした時



あと、パラリンピック閉会式での演奏を祖父に見てもらえて嬉しかったのにはもう1つ理由があります。実は、その前に祖父は胃がんを患っていたのですが、手術が成功していたからです。


「これからも一緒に時間を過ごせるし、ヴァイオリニストとしての活動も見てもらえる」と安心できていました。


しかし、時は流れ、2022年12月。

祖父は医師から膵臓がんを患っていることと、余命を告げられたのです。


「じいちゃん・・・俺は人生で一番悲しいよ・・・今までいじめの経験やリンパ腫で命の危険があった時よりも、本当にショックだよ・・・」と言うと、「大丈夫だよー」と楽観的に答える祖父。


「来月2023年1月15日に平塚市中央公民館でコンサートがあるんだ。誰よりもじいちゃんに見てもらいたいから、来てほしい!」

と伝えました。


とはいえ、ぼくは脳こうそくから回復した後だったこともあり、体力が落ちていて、飛んだり動いたりもできない状態でした。しかもこの平塚でのコンサートは1部・2部の2ステージ。


精神的にも肉体的にも限界の状況でしたが、

「最高の自分を見てもらいたい!俺は全力で演奏する!」

と決意し、コンサートまでの1ヶ月の間、体を鍛え、演奏技術を高める日々を過ごしていったのです。


式町水晶

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Profile

式町水晶(しきまちみずき)

1996年北海道旭川生まれ。
脳性まひと闘うプロヴァイオリニスト。

 

東日本大震災の津波に耐えた陸前高田奇跡の一本松と被災地に残された瓦礫や家具を再利用して作られた 「津波ヴァイオリン」を所持し演奏することを託される。

障がい者と健常者の垣根を越え、 より多くの人々に夢や希望を贈りたいとの思いで、東日本大震災チャリティーコンサートや、全国各地での災害支援活動、社会貢献活動を中心に、コンサート、 ライブ、 各種講演会、 楽曲制作も精力的に行っている。

式町水晶
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